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令和5年度3学期始業式

ページID:0138108 更新日:2024年1月9日更新 印刷用ページを表示する

あけましておめでとうございます

 1月9日(火曜日)、オンラインにて3学期始業式を行いました。次のことを子ども達に話しました。

 

崇広小学校150年の歴史

 みなさん 明けましておめでとうございます。 本年もどうぞよろしくお願いいたします。今年のお正月は、コロナ前に戻り親戚など家族がたくさん集まり楽しく過ごしたことでしょう。

 ただ、お正月から能登半島地震や航空機事故が起こり、被災された皆さんにはお見舞い申しあげますとともに、なくなられた方のご冥福をお祈り申しあげます。そして、被災地が早く復興することを願っています。能登半島地震については、余震が続いていますので、どれだけの方が被災し被害にあわれているのかまだ、はっきりとしません。しかし、1月1日16時10分地震が起きて以後、テレビで何度も強く呼びかけていたように平成23年3月に起きた東日本大震災の時に私たちが学んだ自分の命を守るために逃げるということはできたのではないかと思います。また、1月2日に起きた航空機事故については、幼児8人を含む乗客・乗員合わせて379人が全員、機体から脱出したという奇跡が起きました。これも事故原因が明らかになっていませんが、日頃の乗務員の方々の訓練のおかげではないかと思います。

明治時代  さて、みなさんは、この崇広小学校のお誕生日をいつか知っていますか。2月6日です。今年の2月6日のお誕生日で(創立記念日といいます)150年になります。崇広小学校の名前である崇広ということばは、江戸時代のおわりごろ1858年、柏原藩9代藩主織田信民(おだ のぶたみ)がつくった藩の学校である崇広館にちなんでいます。明治時代である150年前明治6年2月6日、小学校ができたころは、崇広館小学校とよんでいました。当時は、今の崇広小校区だけではなく、新井、石生、上久下からも通ってきていて児童数は、231人でした。その年の10月には、今の崇広小学校という名前になっています。
 その後、時代は大正、昭和と進んでいきます。これは、昭和7年ごろの崇広小学校の写真です。おそらく大内山から撮っているのではないかと思います。 昭和7年ごろ
崇広尋常高等学校  これは、その頃の運動会の様子です。運動場の向きが今と違っていて、大内山に向かって体操をしています。この頃は、崇広尋常高等学校とよんでいて、今の小学校である尋常科と中学校である高等科があり、尋常科1年生から6年生までで昭和7年で681人いました。

 これは、昭和14年5月の校舎の写真です。先ほど見せたたくさんの校舎が新しく木造2階建てのものに建て替わっています。みなさんのおじいさんやおばあさんで崇広小学校卒業生ならおそらくこの校舎で学んでおられます。

 この頃も、まだ柏原中学校ができていませんので、崇広尋常高等学校のままで、尋常科児童は、変わらず687人いました。この後すぐに第2次世界大戦が始まり、学校の名前は、崇広国民学校に変わります。そして、戦争が終わった昭和22年に、再び名前が崇広小学校にもどり、小学生と中学生がこの場所で分かれて、柏原中学校となります。

崇広国民学校
磯尾柏里  話は変わりますが、みなさんは、この木像を知っていますか。磯尾柏里さんという柏原町出身の彫刻家がつくられた「地球と一家のように仲善で」というタイトルの木像です。これは、柳の木をけずってつくったものです。昭和33年運動場にあった柳の木が年老いて倒れる危険があったので、切られてしまいました。そこで、磯尾柏里さんにお願いして切った柳の幹から像を作ってもらったものです。崇広小学校のみなさんだけでなく、全世界の人たちがなかよくしてほしいという柏里さんの願いが込められています。
 次の写真は、昭和44年、今から50年ぐらい前の運動会の様子です。運動場は、今ある場所と同じで、体育館やプールが今の場所にはありません。この年に今の職員室や図書室のある2階建て鉄筋コンクリートの校舎ができあがりました。この頃、氷上郡、今の丹波市の小学校には、鼓笛隊がありました。お隣の東小学校には、今でも残っています。運動会では、鼓笛隊を先頭に入場行進が行われていました。どの写真にも立派な老松が写っていて運動会を見守っています。 昭和44年運動会
昭和48年プール完成  そして、昭和48年、崇広小学校が、創立100周年を迎える年に、今の場所にプールができあがりました。みなさんのお父さんやお母さんで崇広小学校卒業生ならこのプールで泳いでおられます。5・6年生もこの写真の小プールを使っています。
 いよいよ最後の写真です。これは何の写真かわかりますか。これまでの話の中にも何度も登場してきました。昭和57年今から40年前、校庭にたくさんあった松の木の最後の1本が倒れてしまいました。当時で樹齢280才、江戸時代からあった松でした。長屋門と同じように長く崇広小学校のみなさんを見守ってくれた松の幹を今でも崇広小学校の玄関にかざっています。さきほどの木像と同じように、いつまでも崇広小学校のみんなが楽しくなかよく学んでほしいという願いが込められています。 老松
児童像

 それでは、この3学期もみんなでわかって みんないい みんなちがって みんないい みんなチャレンジ みんないい で取り組んでほしいです。


 

 

地域・保護者の皆さん

  新年あけましておめでとうございます。旧年中は、本校の教育活動に対して、ご理解・ご協力ありがとうございました。本年も、引き続きご協力とご支援をよろしくお願いします。

  1月26日(金曜日)に行います人権参観日の当日、12時45分から13時30分まで体育館ミーティングルームにおいて、明治20年から昭和48年までの卒業写真を公開しています。ぜひ、ご覧ください。(一部保存されていない年もありますのでご了承ください。)