ページの先頭です。 メニューを飛ばして本文へ

校歌

ページID:0050002 更新日:2017年2月27日更新 印刷用ページを表示する

崇広小学校校歌について

         kouka

崇広小学校の校歌が生まれたのは、終戦から十年が過ぎた三十一年。新しい時代に新しい校歌をと歌詞を一般公募した。選ばれたのは、氷上郡市島町にある上田天満宮の前宮司・村岡さんの詩。村岡さんは当時三十四歳で、長男で現宮司の一比古さんが小学校に上がったころだった。作品に当たってはわが子の生い立つ姿を重ね合わせもしただろう。「こずえにおどる日」「さみどりにおうこの庭」「ゆたかに茂る若草」などの言葉に、幼い命へのやさしいまなざしが感じられる。作曲は、県立柏原高校の音楽教師だった玉澤修三郎さんで、大学で作曲科を専攻していたとあって、二部合唱の響きがうつくしい。ただし、小学生にはやや難しいため、現在はもっぱら斉唱で歌われる。 

旧校歌のおはなし
現在の校歌ができる前にも、明治時代から歌われていた旧校歌があった。児童文学者・巌谷小波が、柏原の自然風土や歴史を読み込んだ物語風の歌。新校歌を作るのに卒業生から反対の声が上がるほど、よく親しまれていた。しかし、旧校歌は長年、制作年や作曲者が分からなかった上、歌詞も卒業生によって記憶がまちまちであるなど、疑問点が多かった。卒業生の一人、山口栄一さんは一昨年、そのなぞを解き明かした。明治生まれの母親から、一年生に在学中の孫まで、四代にわたる崇広っ子。母校への愛着は人一倍だ。卒業生や関係者への聞き取りや資料調べに奔走した。その結果、旧校歌が作られたのは、巌谷が丹波地方を訪れた明治四十二年から、校歌を歌ったという最も古い証言が得られた同四十五年の間。作曲は当時、巌谷と組んで仕事をしていた田村虎蔵と分かった。歌詞の異同も特定し、録音テープを作製。希望者らに贈った。町の敬老会で流したときには、会場のあちこちで「懐かしい、懐かしい」と、感慨深げなつぶやきがこぼれた。「私たちの小学校時代といえば、戦争が激しくなり、運動場も一面、畑にされていたころ。そんな中で歌った校歌だけに、一層懐かしいのかもしれま せん。」(「神戸新聞」平成9年7月30日より引用)
新旧二つの校歌は詩も曲調も随分異なるが共通して登場する崇広名物が二つある。それはおいまつ大内山である。