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学校の沿革

ページID:0051547 更新日:2019年9月2日更新 印刷用ページを表示する

明治 6年  学制に基づき 相救舎と称し学校ができる (明治6年5月25日)

明治 9年  集英小学校 廣聞校 志殻校ができる

明治21年  現在の位置に学校ができる

明治23年  統合し 幸世尋常小学校となる

明治43年  幸世尋常高等小学校となる

昭和16年  幸世村立幸世国民学校となる

昭和22年  幸世村立幸世小学校となる

昭和24年  ミルク(脱脂粉乳)給食が始まる

昭和30年  町村合併により 氷上町立北小学校となる

昭和31年  校歌が制定される

昭和42年  第1校舎(管理棟)ができる

昭和42年  完全給食が始まる

昭和48年  創立100周年記念式典を行う

昭和56年  第2校舎(教室棟)ができる

昭和63年  体育館ができる

平成 3年  プールができる

平成 7年  ランチルームができる

平成10年  第1校舎の大規模改造工事が行われる

平成16年  丹波市発足により 丹波市立北小学校となる

平成19年  ランチルーム(調理場)改造工事が行われる

平成23年  耐震補強工事が行われ、エレベーター棟ができる

令和元年  全普通教室に空調設備が設置される